富張 哲也
(とみはり てつや)
1974年4月2日 生まれ
東京都 豊島区 在住
妻:1人 娘:2人
ダックス:3頭(STM)
小鳥:1羽(先日天国へ)


●二級ファイナンシャル
 プランニング技能士
●JADP認定メンタル心理
 カウンセラー
●Microsoft Office Specialist
 Excel Associate

1993年 19歳



学生時代から私が関心のあったキーワードです。

父親が経営していた会社を継ぐべく、 大学では経済・経営学を学びました。
アメリカに行きたいという夢があったため、高校時代に所属していた
アメリカンフットボール部にも大学では入部しませんでした。

たくさんの友人や先輩たちがアメフトを 一緒にやろうと誘ってくれましたが、
私はアメリカへの道を選びました。

彼らと一緒にアメフトを続けていたら また違う人生を歩んでいただろうと
振り返る事もあります。

でも、一度決めた道。
大学の勉強も、留学のための勉強も 一生懸命にやりました。



1996年 22歳

たまたま3年間で卒業単位を取れる制度を 大学が作ってくれたので、
すぐに卒業単位を取りました。
そして英語の勉強も順調に進み、 すっかり準備は整いました。

自分でもアルバイトで数十万円を貯めましたが今振り返ると
甘ったれた話です。

日本での大学費用も、留学先での生活費も大学費用も親負担。

確かに両親は事業で成功しており、 経済的には
やり繰りできていたのだと思います。

しかしながら、自分自身が親となった今。
娘たちに同じことをできるような経済環境はありません。

上の娘は大学費用全額を奨学金でまかない、
将来のお金に関して非常に心配しています。
下の娘はそうした姉の様子を見てか、高校を卒業してすぐに
就職する道を選びました。

大人になるまで育ててきただけでも立派だと言ってくれる
優しい人もいるでしょう。

でも、自分がたどってきた道とのギャップが大きすぎて
やるせない気持ちになります。

娘たちは本当に素敵な人柄の人物に育ってくれました。
だからこそやるせない気持ちが絶えません。

お金が全てでは無いですが、 お金で幸福は買えないといいますが、
お金がある事で人生の選択肢は確実に増えます。

色々な経験や体験ができます。
心に余裕を持って暮らす事ができます。



私は自分なりに一生懸命仕事に取り組んできました。
どんな時も仕事を楽しみながら頑張りました。
ですが、苦難が多かった事も事実です。

1997年 23歳

両親が経営していた会社に入り、 無我夢中で働きました。
なぜなら、将来は社長になるつもりでそのためには
父親を追い越す人物にならなければと常に緊張していた事を
覚えています。

そしてオーバーワークです。
ガソリンが切れているのに、車をフルスロットルで突っ走る。
うつ病になりました。

メンタルクリニックへの通院も長くなり、 入院もしました。
その当時、うつ病はまだまだ理解されておらず 心や
精神力が弱いからだとか、恥ずべき病気という感じです。
両親もできる限り表に出さないようにしていると感じていました。



それでも家族に支えられ、復調する事ができ、 娘たちも
生まれて、再び前進していけると思った矢先です。

2009年 35歳

世の中の変化のため、縮小の一途をたどった業界で
会社の全員が一生懸命に働きましたが 倒産です。

その時には私が社長、父が会長という環境でした。
社員の面々に涙ながらに会社が倒れる事を謝りながら
誠心誠意話した事は生涯忘れる事はできません。



残念ながら倒産した会社に勤めていた方もいらっしゃる事と思います。
私の場合は潰してしまった側です。

お客様に対しても、社員の人たちのためにも最後の最後の日まで
死ぬ思いで働きました。
その間に父親は自殺未遂をし母親は生死をさまよう大病に
見舞われました。

両親は自己破産し、私はギリギリ破産はせずに済みましたが、
心身ともに限界を超え、色々な感覚は麻痺していました。

2009年 35歳

そんな状態で、会社の清算が終わってから1ヶ月も経たないうちに
次の会社へ転職。

でも、この会社は子ども/教育/未来に関わる事業だったため、
とても満足していました。
自分らしい仕事だとも思いました。

給与水準も以前より高くなり、倒産という最悪の事態からすれば
本当に幸運でした。



教育関連の会社だったため、社員には大変な知識水準が求められ
猛烈に勉強しました。

無事に第一関門を突破し、スーパーバイザーとして活動を開始。
フランチャイジーのオーナー対応が主な業務でした。

人当たりは悪くない方ですし、 前職では長年の接客業で培った
コミュニケーション力もそれなりにあったのでしょう。

様々なオーナー達と親密な関係を築く事ができました。
出張も多かったですが、色々なことが 新鮮に映りました。



ただ、高い給与には大変な仕事がセットで付いてきます。

夜中の1時、2時のオンラインミーティングは日常茶飯事で、
オーナー達からは 深夜/休日を問わず絶え間なく
電話が来ます。

それでも優秀な同僚達に囲まれ、豪勢な社員旅行や
新年会などもあり仕事生活は 充実していました。



倒産からここまでの2〜3年間、 本当に突っ走りました。

2011年 37歳

そして転職してから1年半が経った冬に倒れました。
インフルエンザにかかって寝込んだ事がきっかけだったと
思いますが、 一気に疲れが出て立ち上がれなくなり、
精神は再びうつ状態に。
本当に疲れ切っていました。

もう、まともな判断ができず、 ただただ休みたかった。

上司には半年くらい休職して、ゆっくり復帰すればいいと言って
もらえましたがひたすらに現実から逃避したかったのです。

最初のうつ状態の時も、この時も現実逃避=自殺願望と
なっていました。


2012年 38歳〜39歳

ある程度病気の状態が良くなってからはアルバイトからの
再スタートとなります。

自動販売機のベンダーだったり、
イベント会場の案内係だったり、
オフィス移転の作業員だったり。

毎回、違う現場で違う人たちと
毎回、違う仕事をするというのは
本当に大変でした。

その点では一般社員として働ける事のありがたさを感じました。
アルバイトの傍ら、就職活動も始めハローワーク通いをし、
転職サイトで仕事を探し続けました。

しかし、この時点で40歳近く。
なかなか順調に転職活動は進みませんでした。
若い頃から年収1千万円、家族に楽な暮らしをさせる、
という事が一つの目標であり、 義務のように感じていました。

そのため、太陽光発電の営業だったり、 保険の営業だったりと
高収入の可能性がある会社に入社しましたが長続きせず。

今考えると一発逆転を狙った無謀な挑戦だったし、 心身ともに
十分には回復していませんでした。

本当に右往左往していました。
家族にも心配をかけました。

2013年 39歳

そして現職の会社に就職しましたが ここでも
状況の浮き沈みが激しいです。
ずっと順風満帆な仕事人生を送る人は いないとは思いますが。

今もメンタルクリニックへの通院は 続いていますし、
年齢的に老眼と白髪、 コレステロールにも悩みを抱え、
加えて妻との関係も悪くなってしまいました。

人生色々とは言いますが、本当ですね。

でも、人生の折り返しを過ぎた年齢でも 夢や希望を追い続け、
叶える事はできると信じています。

私の人生の悪戦苦闘は続きますが 人生の終わりには
やり切ったと思えるよう行動していきます。